第2のふるさと

1210402西日本 日の里▷今朝の西日本新聞。西鉄バスの宗像市日の里団地循環路線廃止の記事。
平成11年東郷駅前掃除▷平成11年(1999年)私の手帳カレンダー。朝の東郷駅の掃除に連続171日自宅から通った。


今朝の西日本新聞の記事。宗像市日の里団地循環の西鉄バス路線廃止。「西鉄バス廃止」と「日の里団地」のキーワードでここで紹介することにした。

西鉄バス廃止の問題は今3月議会でも一般質問したので、日の里でも避けられないか、との思い。

バス路線廃止は別項でまた書くが、かつて「マンモス団地」と言われたここ日の里団地は私の第2の故郷。

…ちょっと思い出話を。

1998年9月から2009年7月末まで地元福岡4区の渡辺具能代議士の秘書をしていたが、ずっとここ宗像市の日の里地区の担当だった。新聞記事写真の2段目、女の子が写っている場所は東郷駅日の里口だろう。懐かしい場所。私はこの場所で育ててもらったと言っても過言ではない。

日の里時代の思いでは機会があればまた書くが、ここ東郷駅日の里口は、1999年7月から2009年7月までずっと掃除に通っていた。経緯は省くが、何とか担当地日の里団地の人たちの気持ちをつかめたら、という自分なりに考えた行動だった。

平成11年の手帳カレンダー写真をアップしているが、この年7/5から毎朝自宅を出て6:20から8:00まで、時間にして100分。ほうきを持って東郷駅ロータリーを周回し掃除する生活がスタートした。地域を廻るだけじゃ団地の人々の心を開くことはむずかしい。私なりに考えた、「本気」をみてもらう行動、日の里の住民との「根比べ」のスタートだった。この気むずかしい地から私がしっぽ巻いて逃げるか、住民が私を受け入れるか…後者になったとはっきり言える。

手帳の×印がフルで掃除した日。△が寝坊して15分しかやらなかった日、○印が代議士が宗像市内の他の駅で挨拶立ちするのに同行したため掃除できなかった日。△の日を含め、雨の日も風の日も台風が直撃しても(苦笑)私は久山の自宅毎朝の東郷駅に立つために車を走らせた。カレンダー、数えたらこの年、171日連続で朝、東郷駅に立ち続けている。

おかげで、縁もゆかりもなかった日の里で、「ここは選挙はむずかしい」と誰もが口にする中で、一応、心を開いてもらえた、人としての関係を作れた…大変思いで深い土地になった。結果的に2009年のいわゆる「政権交代選挙」で私が仕えていた代議士は落選してしまった。しかし、久山町議選出馬で日の里担当からはなれることに、団地の人たちが悲しんでくれたこと、その後久山で町議になったことを喜んでくれたこと…いい地域を担当させてもらったと思う。

年度が変わってもほぼ毎朝、担当が旧玄海町・大島村も受け持つようになってやや「休養日」も出来たが、体がきつくない日は朝東郷駅に立つ、の生活が私の基本だった。

平成18年(2006年)元旦から、現在のように久山の自宅から久原小往復で朝ゴミ拾いするようになったため、東郷駅前の掃除は昼か夜の空いた時間、10分程度の「ゴミ拾い」に変わった。しかし、ほぼ10年、東郷駅を「掃除」しつつけたことが私自身、いろんな勉強をさせてもらい、その姿を見てくれていた日の里団地の人たちが私を肯定的に受け入れてくれた…ほんとに学びの舎だった。

全力で自分の思いをぶつけた、自分の生まれ育った地だと思って一心不乱に地域を廻った思い出は今も消えない。そして、「駅を掃除する」、「地域を徹底的に廻る」の、他の同僚秘書より力を注いだ活動法が、今久山町の自分の活動に活かされていると考える…いろんな思い出が頭をよぎる記事だ。



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